旅日記 8/18(土)

ヒヴァへ

5:00am頃目が覚めた。日本時間では9:00amなので目が覚めてしまった。ホテルの下が騒がしくてカーテンを開けて下を覗くと、どこからか人がやってきて朝食会のようだ。ホテルの側から人が並んでバケツリレー式に食べ物を運んでいたのが面白かった。何の集まりかは解らず。

6:20am頃に本格的に起き出して出かける準備。7:00am頃に1Fでバイキング。シリアルを取るボウルがなかったり、グラスが汚れていたりと色々。韓国系の人が頼んだと思われるインスタントラーメンが出ていた。

7:30am過ぎ、ちょっと遅れてロビーへ。そのまま空港に向かう。途中でチムール博物館の前(実はホテルの近くだった)を通った。

空港には15分ほどで到着。運転手さんとはここでお別れ。別の運転手さんがウルゲンチで待っていてくれるらしい。

少し歩いて国内線のターミナルへ。昨日の国際線の横にある。受付にウルゲンチ行きの同じコードの便が8:50発と9:25発の二つあるのが気になるが、ガイドさんは搭乗手続きに行ってくれた。

待っていると日本人の団体、韓国人の団体がやってくる。現地の人より多い。韓国人の団体には若い男の人が4,5人いて、彼らはキャノンのデジタル一眼レフと赤レンズなど、高そうな機材を持っている。ひとりはグリップストロボを持っていた。何に使うんだろう?我々の横で年長のおじさんがカメラ持ちの若い人たちに説教みたいな事をしていたり、不思議な集団である。

嫁さんは外にある公衆トイレを試してみていた。紙は聞いていた以上に固かったらしい。200cym。

やがてガイドさんが戻ってきて説明してくれた。ガイドさんは先発(8:50)のプロペラ機でウルゲンチへ。我々は後発のジェット機でウルゲンチへ向かう。ジェットの方が先に着くかもしれないので「FURUKAWA」の紙を持ってドライバーさんに見つけて貰え、とのこと。

前の便が出た頃にゲートに入る。先に韓国人団体が入っていてカメラ持ちの若い人たちが何やら決意表明のようなことをしている。空港や飛行機の中は撮影禁止なので状況を残せないのが残念(;_;)。他にも日本人団体がいたりして搭乗ゲート前は混雑していた。日本人団体はデーブ・スペクターみたいなしゃべり方をする男性現地ガイドが案内していた。

チケットには座席番号が書いてあるものの、飛行機に乗ると自由席(どこでも空いている席にどうぞ)ということで、席を探している人で少々混乱していた。入り口から2列目の2つ並びの空き席を見つけて着席。窓側2つの席になった。機内は暑い。

離陸前にやはりドリンクサービス。その後エンジンが掛かって出発するとエアコンが効き始めたようで、少しずつではあるが室温は下がっていったようである。が、かなりの時間暑かった。

離陸は10:00くらいになった。離陸後しばらくは砂漠の風景を見ていたが、やがて寝てしまった。機内食サービスで起こされる。パンとジャム、ソフトチーズとドリンク、他に例の塩辛いピーナッツ。

着陸する20分くらい前になると大地が緑に変わってくる。アムダリヤ川から水を引いて綿花を作っているところが見えているらしい。

ウルゲンチに到着すると小さなターミナルビルにすら案内されずに横の金網の扉から外に出される。すぐ後ろにプロペラ機が停まったのが見えたので、おそらく前に出た便であろう。扉から出ると「ヒヴァ?タクシー?」「ヒヴァ30km」とタクシーの客引きにつきまとわれながら、ドライバーさんを探すが、よく分からない。しばらくプロペラ機の乗客も降りてきてガイドさん、ドライバーさんと無事合流できた。

Sairam Tourism」とフロントガラスに掲げられたセダンに案内されて、荷物を取りに行ってくれた。セダンは観光バスの間の日陰に止めてあったが、フランス人?の団体や日本人の団体が乗り込んでいって、先に出発していった。

ロバ ヒヴァに向かって出発すると、ウルゲンチの街並みは旧ソ連時代の建物が多いようで、日本の風景とは明らかに違っている。郊外に出ると道の両側に物売りが店を広げているところが点在している。多くはスイカやメロン。畑で取れたのをそのまま並べて売っているらしい。ロバに荷車を引かせている姿も多数見かける。他にも飲み物売りや畑の作業をしている人、木陰で休んでいる人、様々だった。

ヒヴァ

昼食

ヒヴァに着くと、南門からイチャンカラという城壁に囲まれた旧市街に入る。車を降りて荷物を運んでいると仔猫がいた。ヒヴァ・マドラサという神学校を改装したホテルにチェックインして荷物を預ける。2Fの69という部屋だが、古い建物をそのままホテルにしているので階段の天井が低かったり、階段は急だったりする。

身軽になると昼食に出かける。家庭料理の店だそうな。行くと既に日本人の団体が一階を占拠していた。後で調べるとミルザボシというB&Bだそうだ。2Fのベランダ風の場所に案内される。夏場に寝る場所でもあるそうだ。ベランダからはイチャンカラの中がよく見える。

ナン 始めにナン、サラダが出ていた。ナンはイーストを使わないパンで主食だそうだ。ナンは場所によって形や味がが違っているとこのと。トマト、キュウリはこの季節よく使うようで、デザートのスイカとメロンと合わせて毎食出ていた。赤カブのサラダも美味しく、これもよく見かけた。

プロフ メインはプロフ。中央アジア風ピラフ(というか日本になまって伝わってピラフになったのかな?)であるが、後で聞くと作り方はかなり手間が掛かるらしい。が、作り方も地方によって様々らしい。食べてみると、ご飯が美味しくてなかなか行けます。

結婚式 食事をしていると、外の通りで結婚式のパレード?が行われていた。この時期は多いそうだ。親族などが集まってダンスを踊っていた。

観光

ご飯が終わると一旦オタ・ダルヴァザ門(西門)の外へ。西門へ続くとおりにはお土産屋が軒を連ねています。西門はイチャンカラ(城壁の内側の町)の正門のようで、外には"Grate Silk Road"の大きなマップがあったり、入り口の所で入場券を買ったりします。入場料はツアー代金に入っているのですが、撮影料は別に必要で、一人5,000cym。二人で10,000cym(約1000円)ですが、そんなに必要と思っていなくてホテルに半分置いてきたのでガイドさんに1,000cym借りる羽目に。とほほ・・。

ここから本格的に観光がはじまる。。写真はヒヴァの写真のページを見てください。ヒヴァではガイドさんについて歩いている間にどこに居るか解らなくなっていたので、少々順序や内容に間違いがあるかもしれません。

最初はキョフナ・アルク、古い宮殿。入り口脇に昔の囚人や処刑の展示があるのだが、団体さんでつっかえていたので先に中を見学。宮殿の壁には細かな模様が細工されていて、想像していた以上にすごい。天井や柱は木製であるが、この辺りは砂漠、草原地帯で木材は相当な貴重品であったはずで、宮殿の贅沢さがよく分かる。柱や天井にも細かな装飾が施されていて、どのくらいの人と時間を掛けて作られたのだろう?玉座のレプリカ(本物はロシアにあるらしい)や食器を入れるためにわざわざ壁をくりぬいたり、いずれも手が込んでいる。テラスからは出入り口が3つあり、それぞれ高さが違っており、一番高いところは王様(ハーン)だけ使用が許されていたりしたそうだ。

キョフナ・アルクにはイチャンカラ全体を見渡せる展望台がある。登るのに一人2,000cym。今は持ち合わせがないが、番をしているお姉さんは大きな団体が夕方に予約しない限り6:00pmで引き上げるそうだ。夕景が見たいのでその前に一度来て払っておくことにして、外の囚人などの展示を見学。昔は親が決めた相手と結婚しなければ行けなかったけど、それがいやで駆け落ちすると処刑されたらしい。厳しい時代であったようだ。

続いてムハンマド・ラヒム・ハーン・マドラサに行ったのではないかと思うが、自信なし・・・。メインの通りに戻って先ほどのミルザボシの前でラクダのカーチャを眺めて、工房通りへ。スザニや木工のスタジオがあり、小さな男の子が細かい木細工をして書見台(コーラン置き)を作っていて驚いた。書見台は一枚の板から切り出して複雑な動きをさせられるように出来ている。高度なものは4つのパートに分かれて高さや角度が行くとおりにも切り替えられるという高度な細工だ。スザニは女性が作業を行っていて、カラフルな作品が並んでいた。一つ一つ手で刺繍しているので手間が掛かっている。

コーナーを曲がるとヒヴァで一番高いミナレット(イスラーム・ホジャ・メドレセのミナレット)が見えてくる。歩いているとぶら下げていた二眼レフを珍しがった子供に嫁さんがそれで写真を撮ってくれと言われていた。撮ったのは良いけどすぐ写真をくれと言われて困っていた。

続いてパフラヴァン・マフムド・モスレム。あまり良い写真が残っていない。パフラヴァン・マフムドはヒヴァの聖人だという。なんでも、他の人たちとインドに奴隷として送られてしまったが、格闘技に秀でていてインドで武闘家として活躍し、あるときインドの王様に優勝したらなんでも褒美を取らすと言われたとか。そして本当に優勝してしまい、褒美は要らないから一緒に連れてこられた奴隷達を開放して欲しいと願い出て認められ、開放された人たちを連れて帰国した。そこで人々は彼を英雄、聖人としてここに祭っており、その後のヒヴァの偉い人たちも近くに眠りたいと思って、まわりにお墓が増えていったらしい。

タシュ・ハウリ宮殿。ここは新しい宮殿で、執務関係の場所と女性のみのハーレムに分かれている。パオ?が置いてあったりする。壁の装飾は緻密。右の写真は唐辛子だか茄子だかを象ったものだそうだ。ハーレムのテラスに上がって記念撮影して貰った。

ホレズム民族舞踊 ここで(だったと思う)はホラズム州の伝統舞踊ショーを見られる(お一人様$5)。他のグループが15分後に予約しているということで先に見学して戻ってみると、そのグループは夕方来ると言うことで、我々だけだが今から上演してくれるという。お茶を飲みながら待っていると、おばさんがスザニを売りに来た。色々見せて貰って、スザニではなくラクダの毛と綿花の毛の織物のショールを$15で買った。

男性3人が楽器(太鼓?タンバリン?が2と弦1)、女声は一人が歌、一人が踊りをメインにしていた。途中で太鼓の男性が部隊から降りていったので楽器がトラブルを起こしたのかと思いきや、木馬に乗って現れ、他の人と掛け合いをしていた。言葉の意味は分からなかったけどとても楽しいショーだった。この木馬のお兄ちゃん、誰かに似ているような気がするのだが、誰だろう?

ヒヴァ観光の最後はジュマ・モスク(金曜のモスク)。毎日礼拝にこれない人も金曜日だけはモスクに来て礼拝をすることになっていたので、多くの人が詰めかけたようだ。213本の木の柱が立っているが、一本一本彫刻が違っており、作られた時期も様々。古いものは10世紀?頃から。インドから運ばれてきたということで仏陀を象ったものもある。多くの人に教えの言葉が届くように、僧侶?の立つ場所には色々工夫がしてあったとのこと。天井から漏れてくる日の光が幻想的な雰囲気を出している。

薄暗いので手持ちで撮影するのは少し厳しい。ここでは、今朝方タシュケントの空港で見かけた韓国人の団体が三脚を立てて撮影していた。三脚の使い方が間違っているような気が・・・。この団体さん、カメラを持っているのは若い人だけではなかった。

帰り道で先ほどのキョフナ・アルクの展望台の番をしている人にガイドさんがお願いしてくれて、7:30pmまでは待っていてくれると言うことで、それまでに夕食を済ませて夕日を見に行くことにした。

夕食

レストラン ホテルに戻って一旦休憩した後、夕食に隣の建物へ。夕日を見たいので早め、他のグループは来ていないようだ。こちらはレストランになっている。中庭に天井を張っているのかな。ええっと、夕食のメニューが思い出せない(^^;;。が、Sarbastという地ビールを試してみた。普通に美味しかった。待っている間に男の人が来てなにやらガイドさんと話している。何か?って聞くとたわいもない話だそう。嫁さんが「ナンパ?」って聞いていた。ナンパの意味を説明することになったが、意味を聞いて「あれはドライバーさんよ、覚えて下さい」と怒られた。昼間はサングラスをしていたので顔が良く解らなかったのだが。朝食もここなので、時間を聞かれ7:00amとした。卵とクレープが選べるというので、嫁さんはクレープ、自分は卵にした。

夕景

ヒヴァ夕景 夕食後、ガイドさんと別れて二人でキョフナ・アルクへ。登ってみるとイチャンカラが一望でき、すでに夕日は色づいている。先客が一人、後からフランス人と思しき人たちが数人上がってきた。残念ながら、夕日は地平線に雲がかかって沈むところまで見られなかったが、南の空には三日月が掛かって、いかにもイスラム?という雰囲気があった。日が落ちたあと、真っ暗になる前にホテルに引き上げる。

ホテルで片づけた後、自分はシャワーを浴びて寝ることに。嫁さんは夜中にシャワーを浴びていたが、途中でお湯も水も出なくなって困ったそうだ。

こうやって思い返すと、これが一日の出来事かと思うほど密度の高い一日であった。

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