旅日記 8/22(水)


朝食はここでもバイキング。ロビーに食べ物が並んでいて、左右にある部屋の中で食べる。ここでも野菜はトマトとキュウリが多い。他にハム、チーズ、クレープ、パンなど。朝食は他と同じようにコーヒーが頂ける。

9:00にロビー集合だが、手持ちのcymが心許なくなったので、両替をすることに。9:00amにホテル入り口の両替所がオープンするというので、待っていたがなかなか開かない。ガイドさんと待っていたらやっとこさ開いて$50を両替。分厚い札束になって帰ってきた。

ウルグベク天文台

近くのティムール像から歩き始めるのかな?と思いきや、最初は市内をぐるっと回ってウルグベク天文台へ。途中でアフラシャブの丘が右手に見える。アフラシャブの丘はモンゴル以前のサマルカンドの街があった場所。

ウルグベク天文台は、ティムールの孫で皇帝だったウルグベクが建設した天文台。巨大な六分儀を備え、ここで数々の業績を上げているらしい。正確な星の位置の計測を行って1年の長さを1分以下の誤差で決めたという。しかし、イスラームの教えに背くと考えた人たちが彼の息子をそそのかして観測中に暗殺してしまう。結局この暗殺がティムール帝国を滅亡に導くのだが・・・。ウルグベクの死語、天文台は徹底的に破壊されてその場所すら解らなくなった。20世紀になってロシア人考古学者が発見する。残されているのは六分儀の地下レール部分だけだが、天文台の大きさを見せてくれている。


ウルグベク天文台の模型
ここにはウルグベクや天文台に関わる資料が展示されている。左の写真のような形の天文台があった。高さは30mもあったそうだ。上に乗っているのは四分儀で、これで六分儀に光を導いた。六分儀は地下に造り付けられているので方位が変えられないためだろう。

その後、しばらく周囲を散策して、サマルカンド旧市街の方を眺めたり記念撮影したりしてみた。

アフラシャブ博物館

アフラシャブ博物館はアフラシャブの丘にあり出土品を展示している。古い土器やコインが展示され、イスラームが伝わる前に振興されていた拝火教の祭壇などが再現されている。最大の展示は発掘された壁画で、湿度温度を管理した部屋に置かれている。左の写真は王様の元に貢ぎ物を持ってきている様子らしく、中央やや上に白鳥が貢ぎ物として連れてこられている所が描かれているそうだ。

このあと、博物館の裏にあるアフラシャブの丘を少し眺めるが、荒涼とした丘という感じである。発掘現場があるので遺跡があることが伺える。土ネズミだかなんだかが作った穴があちこちにあった。

シャーヒズィンダ廟群


シャーヒズィンダ廟群入り口

入ったところにお祈りの時間を表す時計

入って右手にはマドラサ
ティムールゆかりの人たちの廟が立ち並ぶ聖地。下の入り口から入るとすぐ左手にモスクがあり、右手にはマドラサがある。

その先には階段がある。この階段を登るときと降りるときに段数を数えて同じだったら天国に行けるそうだ。そういうわけで、数えながら登る。


階段の途中にコシュ・グンバズ廟があり、見とれていると数え間違いそうになる(^^;。


巡礼の女性
階段を上がりきったところに一群の建物があり、観光客や巡礼者でごった返している。廟の中に上がり降りする階段は狭いが、観光客が立ち止まって記念撮影したり、巡礼の人が集団で出入りしたりしている。奥さんは日本人(ヤポーネ?)と聞かれて、一緒に記念撮影をせがまれていた。先方はトルコ人らしい。

ここには、トゥグル・テキン廟、アミールソダ廟、シンリンベグ・アカ廟、シャーディムル・アカ廟、八角形の廟が集まっている。それぞれ異なった装飾を施され、中も華麗である。この場所に立つと特に「青」が際だって見える。なにかテーマパークの中にいるような錯覚も覚えた。

少し奥から、階段方面を振り返ると左のように見える。手前は八角形の廟で、だれのものかは解らないらしい。右手の茶色い3つの建物はガイドブックによると14世紀の霊廟跡と書かれているが、着々と再建が進んでいるようだ。次に言ったときにはガイドブックには載っていない建物が再建されているかもしれない。

廟の周囲には一般の人のお墓も建てられている。先人にあやかりたいので、数多くのお墓が出来ているとのこと。

奥の方まで行くと、タキ?があり、ここを右に曲がるとシャーヒズィンダの語源となった最初の聖地、クサム・イブン・アッバース廟がある。先に奥のトゥマン・アカ廟とフッジャ・アフマッド廟を見てから、アッバース廟に入った。ひっきりなしに人が行き交う通路を奥まで進むと、巡礼者のホールに出た。ここでは数分おきに祝詞を捧げる人が居てイスラーム独特の抑揚で祈りを捧げており、巡礼者が交替で立ち入っては祈りを捧げて出て行っていた。

イスラーム布教に訪れたムハンマドの従兄クサム・イブン・アッバースがここで祈りを捧げている間に異教徒に首をはねられたが、そのまま祈りを終えると自分の首を抱えて井戸の底へ消えていった。彼は今でも井戸の底で生きていると信じられていて、その井戸がこのホールにある。シャーヒズィンダは生きている王様ということで、アッバースのことを指すそうだ。

この後、30分ほど自由時間でガイドさんと離れて、廟群を撮影してまわった。ここは観光客集合時間が近づいたので階段の上辺りに行くと、なにやら日本人観光客同士がもめている。聞くとも無しに聞いてみると、どうやら片方の小さな集団はガイドさんなしでまわっていて、もう一方の集団が雇っているガイドの説明を横から聞いているので、ガイドを雇っている方が勝手に聞くな、高い金払ってガイド雇っているんだから・・・、てなことらしい。なんだか、どっちもどっち。こんなところでいがみ合わなくても。

シャーヒズィンダ廟群は観光客も多いが巡礼者も多くて、何時までも居たい場所だった。階段を数えながら降りたが、数は登りと同じだった。奥さんは違っていたらしい・・・。降りたところで奥さんが巡礼?のおじさんを捕まえて撮影していたので横から一緒に撮らせて貰った。

昼食

ここで昼ご飯。新市街のレストランに行った。カリム・ベックではないかと思うが、定かではない。2Fの座敷に上がらせてもらった。

サラダ、スープ、メインはシシカバブで、シシカバブは牛、豚、鳥、どれも美味しいのだが、少々疲れ気味・・・。

料理を待っていると、後から日本人団体が上がってきて階段側のテーブル席に陣取った。昼真っからビールを飲み始めるのは良いけど、この団体さん先ほど家のガイドの解説を盗み聞きするなと言っていた人。ガイドさんに立ち聞きされないように注意しろと注文を付けていた。

レギスタン広場

昼ご飯をゆっくり食べてからレギスタン広場に向かう。まっすぐ行こうとすると音楽祭の準備の関係であちこち通行止めになっていて、遠回りして向かうことになった。広場の反対側に車が止まったので道を横断するが、信号がないので少々怖い。広場の前で少し説明を聞いてから入る。入り口の所に検問所があり、鞄の中身を全部出させて確認している。来週の音楽祭や9月1日の独立記念日が近い(大統領が来たりするらしい)のでピリピリしているらしい。検問をくぐると目の前には巨大な観客席があって、どうにもレギスタン広場の眺めが悪い。観客席を回り込むと舞台が出来ていて大きな照明灯が立っているので、ガイドブックの写真のようなレギスタン広場の眺めはあきらめねばならないらしい。

まずウルグベク・メドレセに行く。向かいにあるシェルドル・メドレセの装飾がよく見える。シェルドル・メドレセは、ブハラのナディール・ディヴァンベギ・メドレセと並んで、本来使われない動物や人の顔を描いた装飾がされていることで有名だ。

ウルグベク・メドレセの中では、またチェス盤を見かけた。装飾柱もよそで見たのとは違って色が塗ってある。ウルグベクとその関係者の銅像もあった。天球儀(地球儀?)を囲んでいる。ウルグベク・メドレセはブハラにもある。ブハラの所でも書いたように、ウルグベクは教育に力を入れていて、サマルカンドとギジュドゥバン、ブハラにメドレセを建設している。


ティラカリ・メドレセ天井

壁面
続いてティラカリ・メドレセへ。ここは金箔で装飾された豪華な礼拝所が見物。修復だけでも3kgとも6kgともいう金が使われたそうだ。天井にも壁にも金が使われている。天井はドーム上に中央が盛り上がっているように見えるが、そういうふうに模様が付けられていて、実際はほぼ平らなのだそうだ。

ティラカリ・メドレセもドームの左右にはおみやげ物屋が並んでいて、観光地化していることがわかる。

次にシェルドル・メドレセに向かう。左の写真のように内側はあまり修復されていないようだ。

ここは中に楽器屋さんがあるので楽しみだったのだが、今日はお休みだった。残念。奥にスザニ屋さんがあったので、色々物色した。奥さんはラクダの模様のスザニを買っていた。事情があって、半分ドル、半分cymという少々変則支払い。

レギスタン広場は舞台、観客席と警備のためにあまり撮影する気分にならなかった。訪れるならもう少し早い時期にするか、音楽祭に合わせるのが良いと思う。

ビビハニム・モスク

次に訪れたのはビビハニム・モスク。ティムールがイスラーム圏最大のモスク建築を目指して作ったモスク。あまりに巨大だったので出来上がった後、すぐに壊れ始め、礼拝をしている人の頭の上に天井が落ちてきたりしたという。すぐに使われなくなり廃墟となったという。

伝説では、ティムールの妃ビビハニムがティムールのために建設を急がせたが、ビビハニムにあこがれていた建築家はキスをさせてくれなければ、これ以上建築は進められないという。しかたなくビビハニムはキスを許したが、建築家は事もあろうに頬にキスをしてビビハニムの頬にキスマークが残ってしまう。ティムールが戻ってきてモスクの完成を喜ぶが、妃の頬を見て愕然とする。建築家はミナレットの上から投げ落とす処刑を受けるが、隠し持った空飛ぶ機械で何処へともなく飛び去っていったということだ。ビビハニム・モスクの伝説はガイドブックやWebを見ると色々なバリエーションがあるが、建築家が飛び去っていったという件は初めて聞いた。

ビビハニム・モスクの中庭には巨大なコーラン(石像)があって、下をくぐると願いが叶うんだったか、子宝に恵まれるんだったか、良いことがあるそうだが、つっかえそうだったのでくぐるのはやめた。


ビビハニム・モスク内部
ビビハニム・モスクは近づいてみると色々なところが修復中で、特に内部はこれからという感じだった。

シヤブ・バザール

ビビハニム・モスクの横には大きなシヤブ・バザールがある。手前には果物、豆類、奥に行くとナン、衣類、さらに奥に香辛料の店。それぞれの場所の説明を受けてから、自由時間でガイドさんと別れる。

香辛料の店を適当に見て、黒ごま等を買ってきた。安いんだか高いんだか解らないし、いまいち言葉が通じないので、要らないと入っているのに、じゃあもう少しおまけしようという感じになったり、変な買い物だった。隣のおじさんが、おまえ達新婚か、だったらダンナにこのバッチを買ってやれ、格好いいから、と言うのを振り切って次の所へ。

現地風の帽子を買おうと移動していたら、岩塩売りのおじさんに1000cymの岩塩を半ば押し売りされてしまった。ドルだったら$1、cymだったら1000cymというので、cymで払うことにした。

お土産に男性がかぶっている帽子を買ってみる。$1だというので、奥さんに見立てて貰って似合いそうなのを選んで貰ったが、後で見たらやっぱり似合わないな?

バザールの入り口近くにあるスザニの店で少し物色する。小さな男の子が色々説明してくれて、売り込みにがんばっている。

グリ・アミール廟

サマルカンド観光の最後はグリ・アミール廟。昨晩ライトアップを見に行ったところ。こちらも近くまで車で行けないため、ホテルの近くの大通りで降りて歩いていくことになった。すると、ちょうどルハバット廟を背景にして噴水が上がり虹が架かっている所を見ることが出来た。

グリ・アミール廟は昔は正面に入り口があったそうだが、直接死者の場所に行くのはどうかということで今は入り口は左手に移されている。

中ではティムールの遠征ルートなど、ゆかりの展示がされていた。


ティムールとその一族の墓石

こちらはお付きの人の墓
彼は離れた場所で墓を守っているとのこと。

壁は金箔と大理石
奥に進むと、ティムールとその一族の墓石がある。中央の黒いものがティムールの墓石。遺体はこの下の地下室に安置されている。

ガイドさんの話では、ここには次のような話が残されている。ロシアの考古学者が墓を開けてティムールとその一族の調査を行おうとすると、現地の人たちが悪いことが起こるから止めておけと言った。迷信と思った学者は構わず墓を開けたが、その翌日にドイツがポーランドに攻め込み第2次世界大戦が始まった。モスクワは直ちに調査を中断して墓を閉じるように命じ、以後二度と墓が開けられることはないという。しかし学術的な成果として、ティムールの足が不自由だったこと、ウルグベクが首をはねられたことなどが解った。

外に出ると陶器やスザニを売っている店があった。奥さんが色々物色して、スザニだったかを少し買って帰った。サマルカンド観光はこれで終わり。ホテルに戻って、少し休んでから夕食に出かける。

夕食


夕食は新市街のAstriaという店で。地ビールにウズベキスタンのもの(いつものSarbast)とカザフスタンのものがあるというので、奥さんと一本ずつ頼んでみた。カザフスタンの方が味が濃くて旨いかも。

ここでは、生春巻き風の物が出たのが珍しかった。

夕食後、ホテルに帰って休む。もう一度グリ・アミール廟のライトアップを見に行こうかと言っていたが、疲れていたので寝てしまった。

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